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□■□■□ 【七緒のスチャラカ★介護日記】
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□■□■□───────────── 2013.02.27 ── Vol.0077 ──
  左半身マヒとなった父ヨシオ。母ヤスコと長女・七緒が自宅での
  介護を決意した!お気楽3人家族の、手探り介護マガジンです。
── CONTENTS ─────────────────────────
       ●スチャラカ日記 『お休み、また明日ね』
       ●編集後記
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■□■………… 『 お休み、また明日ね 』 2月27日 …………■□■

2000年、父ヨシオが脳梗塞で倒れて、手探りの介護生活が始まった。
仕事は既にリタイアしていたとは言え、一家の大黒柱が要介護状態になって
しまったことは、本人と家族にとって大ショックだったけれど、嘆いてる
ヒマはなかった。
それからのスチャラカ家族の奮闘ぶりは、皆様ご存知の通り。

無我夢中で生活に追われる中、ふと「子育てはゴールがある程度見えてる
からいいけど、介護はゴールが見えないから困るよなぁ」なんて思うこと
があった。
介護の肉体的・精神的・経済的な負担は、決して少なくない。でもその期
限は誰にもわからない。
早くゴールが来ればいいと思ったことは無いけど、こんなに早く、こんな
に急に来てしまうとは、まさか思わなかった。

2012年5月23日朝、父ヨシオは脳出血で意識不明となっているところを、
母ヤスコに発見され救急搬送された。

その前の晩、5月22日の夕ご飯を食べた後に、東京スカイツリー開業の
ニュースをテレビで見た両親。
父は子供の頃、太平洋戦争の東京大空襲で焼け出される時まで墨田区向島
で暮らしていたので、故郷のすぐ近くに出来た新しい東京のシンボルには
並々ならぬ思いがあった。

「すごい混雑だね。でもやっぱり見たいよね。少し空いてきたら、連れて
行ってあげるからね〜」と約束を交わした。

そしていつもと同じように、何も変わりなく眠りについたのに、医師に言
わせれば「こんなに大きな脳出血は見たこと無い」というほどの脳出血を
起こしたらしい。
深夜だったのか明け方だったのか、その時間はわからないけれど、いつも
枕元にあるブザーを押して母に助けを求める余裕はなかったようだ。

その時私は外に居たので、連絡をもらって病院へ駆けつけたが、父は意識
不明のまま集中治療室で、いわゆる『危篤』になっていた。
皆で揃って医師に話を聞くと、とにかく脳出血が大きく重篤なので、この
状態から意識が戻ることはまず無いし、残念ながら時間の問題ということ
だった。

色々な点滴やコードにつながれてベッドに横たわる父は、ちょっと顔が赤
いくらいで特に苦しそうには見えない。いつものようにグーグー寝ている
感じに見える。

このままもう目覚めることは無いと言われても、なんだか諦めきれないが、
脳出血が起きた事実については妙に納得している私がいた。
実は2009年末にまた脳梗塞で入院してから、少しずつ少しずつではあるが、
体力が衰えて来ている感じがあったのだ。

「とうとう来ちゃったね、お父さん。だからまた頭が詰まらないように、
色々注意したのに聞かないから…」と、思わず父のベッドサイドでつぶや
いてしまった。

そう、何を隠そう父との最後の会話は、やはり野菜をめぐるケンカになって
しまった。
朝食に出したキュウリだかレタスだかを、食べる食べないとしょうもない言
い争いになり、
「もう!またそんなワガママ言ってると、血管が詰まるよ!知らないからね」
「うるさい!放っておけ!」などとやり合っていたのが、本当に最後になろ
うとは。

お別れの時が近づいているのが正確にわかっているならば、優しく接してあ
げることもできたかもしれないけど、そんなことは現実にはあまり無いこと
だろう。明日のことは誰にもわからないのだから。
だから別に後悔も何も無いけど、こんなに急にその日が来てしまった。
やっぱり最後はケンカで終わってしまったかと思うと、ちょっと不本意だ。

まあそれと言うのも、『父の健康を気遣う娘の気持ち』から起こったものだ
と綺麗に解釈することにして、その夜は集中治療室の近くで待機した。

回復は見込めない、あとは時間の問題と言っても、父の心臓は頑張っている。
「こうしていても、耳は聞こえているみたいですよ。お父さん頑張ってます
から、話しかけてあげてくださいね」と看護士さんは言う。

そうは言われても、他のベッドの患者さんも居るし、今さら「お父さん厳し
く接してばかりでゴメンね〜」なんて言うのも恥ずかしいので、父の手をさ
すったりしながら、心の中であれこれ思い出話をした。

子供の頃の楽しかったこと、大人になってもいつも支えてくれたこと、介護
生活でもなるべく明るく前向きに、家族が仲良く過ごしたこと。
すべてに感謝しているよ、ありがとう。
それはきっと父に通じたと思う。そう信じたい。

そうして眠れない夜が明け、父は驚異的な粘りを見せて翌24日の夜10時まで
頑張ったが、そのまま穏やかに永い眠りについた。
享年73、まだまだ長生きするような存在感のある父だったけれど、突然のお
別れとなり、足かけ13年の介護生活が幕を閉じた。

誰かに語った母の言葉が、とても印象的だった。
「その夜も普段通りに声を掛けたんですよ。『お休み、また明日ね』って。
『有り難う、お休み』ってお父さん言ってくれたんです。それが最後の会話
になりました」

いつものように目覚めることは出来なかったけれど、またいつか会えるその
日まで。ずっとずっと忘れないよ。
お休みなさい、お父さん。心から、ありがとう。

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■□■……………………… 編 集 後 記 ………………………■□■

いつかはお別れの日が来ると、それを書かなくてはいけない日が来ると
思っていましたが、いざとなるとなかなか決心がつかず、だいぶ月日が流れ
てからのご報告になったことを、お詫び申し上げます。

不本意で不慣れな介護生活でも、少しでも両親への励ましになればと介護日
記を書き始め、恥ずかしながらそれをこうして皆様に読んでいただいて、
沢山のエールと元気をいただきました。本当にありがとうございました。

そして、一緒に両親を支えてくれた家族のみんな、親戚・友人の皆様、この
場を借りて心よりお礼申し上げます。

父を介護する生活は終わりましたが、まだまだ書きたいこともありますので、不定期ですがもうしばらく『七緒のスチャラカ介護日記』を続けていくつもりでおります。よろしければ是非今後もお付き合いください。

その後の母ヤスコは、お陰様で元気にしております。
父が居なくなって、もちろん寂しい気持ちはあると思いますが、自分の時間を楽しんでいるようです。
どうしても時間や行動に制限のあった以前とは違い、のんびり自分の好きなように暮らせる毎日です。

中でも絵手紙には力を入れていて、日本絵手紙協会の認定講師を目指して勉強中。また千葉県でカルチャースクールの絵手紙講座を受け持ち、忙しい日々を過ごしております。

父にとっては『恐怖の鬼娘』であった私はといえば、従来同様にイラストやデザインの仕事をいただいている傍ら、以前より興味のある着物(和服・和装)関係の会社で修行中です。

気付けば自分も平均寿命の半分は、とっくに過ぎているじゃないのさ!
うかうかしている時間は無い。仕事も遊びも恋も、健康第一で頑張っていかなくちゃ。
もちろん親孝行も忘れずに、相変わらず天然ボケな母ヤスコを支えて行こうと思ってます。

これからも天国の父ヨシオともども、『七緒のスチャラカ介護日記』をよろしくお願い致します。


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